受胎告知1472〜75年ごろ|ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
師ヴェロッキオの工房にいた20歳ごろの仕事。天使の翼は本物の鳥の翼を観察して描かれています——ただし本人が描いたのは、羽根が濃く描き込まれた付け根側まで。その先の薄くのっぺり伸びた部分は、後世の誰かによる継ぎ足しで、今も色の違いで見分けられます。背景には遠くの山ほど青く霞ませる「空気遠近法」の最初期の試みが背景に見えます。若いころから「見て、確かめてから描く」人でした。もうひとつの仕掛けが、マリアの不自然に長く見える右腕——この絵が右斜め下から見上げる場所に掛かる前提で、その角度から正しく見えるよう計算して歪ませた、と考えられています。
キリストの洗礼1470〜75年ごろ|師ヴェロッキオとの共作|ウフィツィ美術館
左端の天使と背景の一部が、若きレオナルドの担当。この天使を見た師ヴェロッキオが「もう弟子に敵わない」と筆を折った——真偽はともかく、そう語り継がれるほどの出来でした。当時まだ新しかった油絵具を使い、その柔らかさは師の部分と今でも見比べられます。この天使を見た師が筆を置いたという逸話は伝説まじりですが、出来が別格なのは本当です。
ジネーヴラ・デ・ベンチ1474〜78年ごろ|ナショナル・ギャラリー(ワシントン)
20代前半の肖像画。背後に茂る杜松(イタリア語でジネプロ)は、彼女の名前ジネーヴラへの掛詞です。ヨーロッパの外で見られる唯一のレオナルドの絵画で、板の裏面にも月桂樹と棕櫚の紋が描かれています。背景の茂みには、絵具を指でぼかした若きレオナルドの指紋が残っています——筆では出ない柔らかさを、指で作っていました。
カーネーションの聖母1478〜80年ごろ|アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)
油絵具の扱いをまだ実験していた時期の一枚で、マリアの顔には乾燥のむらの跡が残っています。失敗さえ観察の材料にした人の、若き日の記録でもあります。窓の外には、彼が生涯描き続けた霞む山々。
ブノワの聖母1478〜80年ごろ|エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク)
威厳をもって描くのが決まりだった聖母を、幼子をあやして笑う若い母親に変えました。よく見ると、幼子は母を見ていません——差し出された十字形の花を、小さな研究者の目でじっと調べています。こんなに幼いうちから「見て、確かめる」姿を描いたこの生き生きした母子は背景の山河は、遠いものほど青く淡く霞ませる空気遠近法で描かれ、のちのモナ・リザの背景へつながっていきます。評判を呼び、同時代の画家たちが競って手本にしました。
東方三博士の礼拝1481年ごろ・未完|ウフィツィ美術館
フィレンツェ郊外の修道院の注文でしたが、翌年ミラノへ移ったため下描きのまま残されました。渦を巻く群衆、崩れる廃墟、跳ねる馬——完成作では塗り込められてしまう「構想の組み立て」がそのまま見える、美術史の貴重な標本です。右端でひとりだけ画面の外を見つめる若者は、若きレオナルド自身を描き込んだものと伝わります。
荒野の聖ヒエロニムス1480年ごろ・未完|ヴァチカン美術館
荒野で胸を打って悔いる老聖人。首から肩の筋肉は解剖の知識に裏づけられていて、未完だからこそ「骨格から作っていく」彼の手順が見えます。板が切り分けられて散逸し、のちに再発見されて繋ぎ直されたという数奇な伝来でも知られます。
岩窟の聖母1483〜86年ごろ|ルーヴル美術館(パリ)
ミラノに移って最初の大仕事。信心会の祭壇画として契約されましたが報酬をめぐって長くもめ、結果としてロンドンにもう一枚の版が残ることになりました。洞窟の岩は地質の、草花は今の植物学者が種類を言い当てられるほど正確で、闇の中から光で人物を浮かび上がらせています。
音楽家の肖像1485年ごろ|アンブロジアーナ絵画館(ミラノ)
楽譜を手にした若い音楽家。レオナルド自身も竪琴の名手で、フィレンツェからミラノ宮廷へは、まず音楽家として推薦されたほどでした。男性の肖像画は、これ一枚と目されています。
白貂を抱く貴婦人1489〜90年ごろ|チャルトリスキ美術館(クラクフ)
ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァに愛された才媛チェチリア・ガッレラーニ。ふと振り向いた一瞬をとらえる「動きのある肖像」は、じっと構えて描くのが常識だった時代には新しい発明でした。白貂は公の紋章にちなみます。よく見ると体・顔・視線がそれぞれ別の方向を向く三段のひねり——静止した絵に時間を流し込む工夫です。
ウィトルウィウス的人体図1490年ごろ|アカデミア美術館(ヴェネツィア)
古代ローマの建築家ウィトルウィウスが書き残した人体の比例論を、実際に人を測って検証した素描。文字はいつもの通り、左右反転の鏡文字。円と正方形のなかに、人間の体がぴたりと収まります。「人間は、小さな世界」——彼のその思想を一枚で示す図として、世界でいちばん有名な素描になりました。
リッタの聖母1490年ごろ|エルミタージュ美術館|弟子との共作とする説が有力
乳を飲みながら、目だけはこちらを見る幼子。構想はレオナルド、筆の多くは弟子と言われますが、その眼差しの設計は紛れもなく彼のものです。見分けどころは輪郭——本人の筆は輪郭を煙のようにぼかすのに対し、この絵の輪郭はやや硬く、そこが「弟子の筆」とされる根拠になっています。
ラ・ベル・フェロニエール1490〜97年ごろ|ルーヴル美術館
横顔で描くのが決まりだった時代に、彼女の目はまっすぐこちらを向きます。立つ位置を変えても視線がついてくる——正面を見据えた瞳の、光の置き方の効果です。ミラノ宮廷の女性とされますが、誰を描いたのかは今も議論が続いています。
最後の晩餐1495〜98年|サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院(ミラノ)
修道院の食堂の壁に、じっくり描き直せるよう乾いた壁へ描く独自技法で挑みました。その実験ゆえに生前から傷み始め、修復を重ねて今に伝わります。「この中に、私を裏切る者がいる」——その一言が落ちた一瞬の、十二人の動揺を描き分けた心理劇です。遠近法の消失点はキリストのこめかみ——彼はそこに釘を打ち、糸を放射状に張って部屋の線を引きました。その釘の穴は、今も壁に残っています。
聖アンナと聖母子・幼い洗礼者ヨハネ(バーリントン・ハウス・カートン)1499〜1500年ごろ|ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
絵に写すための実物大の木炭下絵(カートン)が、そのまま作品として残ったもの。仕上げられなかったのに、完成作より雄弁だと言われます。木炭と白チョークだけで、油彩に劣らない立体と柔らかさを出しています。
糸車の聖母1501年ごろ|個人蔵ほか(複数の版が伝わる)
フランス王の秘書官の注文と伝わる小さな聖母子。幼子は、十字架の形をした糸巻き棒に自分から手を伸ばしています。評判を呼び、工房から複数の版が生まれました。
サルバトール・ムンディ(世界の救世主)1500年ごろ|個人蔵|帰属には諸説
水晶の球を手にした救世主。長いあいだ行方不明で、上から塗りつぶされた状態で再発見され、修復で姿を現しました。レオナルドの真筆かどうかは今も議論がありますが、2017年に絵画として史上最高額で落札され、世界の話題をさらいました。水晶の球には、本物の水晶に入る小さな気泡まで描き込まれています——鉱物を観察し尽くした人の筆とされる根拠のひとつです。
モナ・リザ1503年ごろから晩年まで|ルーヴル美術館
フィレンツェの商人の妻リザを描いたと伝わります。しかし注文主に渡すことなく、生涯持ち歩いて手を入れ続けました。輪郭線を引かず、煙のようなぼかし(スフマート)で形を作る——ごく薄い絵具を、乾かしては重ねて何十層。科学分析では、一層が髪の毛より薄いこともわかっています。その到達点が、あの微笑です。
アンギアーリの戦い原画1503〜06年ごろ・失われる|模写で伝わる
フィレンツェ政庁大広間の壁画。同じ広間の反対側の壁はミケランジェロが受け、世紀の競作になるはずでした。技法の実験がうまくいかず未完に終わり、のちに別の画家の壁画で上塗りされましたが、軍旗を奪い合う人馬の激突は模写だけで500年語り継がれています。
レダと白鳥原画1505〜10年ごろ・消失|弟子による彩色模写で伝わる
うねる髪、渦を巻く草花——水の流れの研究に晩年まで没頭した人の「渦」への執着が、画面の隅々まで及んでいます。原画は失われ、弟子たちの模写だけが構図を今に伝えます。
ラ・スカピリアータ(ほつれ髪の女)1500〜10年ごろ|パルマ国立美術館
顔だけを丹念に仕上げ、髪は奔放な下描きのまま。未完成こそ美しいという逆説を、一枚で見せてくれます。
バッカス1510〜15年ごろ|工房作とされる|ルーヴル美術館
もとは洗礼者ヨハネとして描かれ、後世の加筆で豹の毛皮と葡萄の冠を与えられて酒神バッカスに変えられた、数奇な運命の一枚です。
聖アンナと聖母子1503年ごろに着手・晩年まで未完成|ルーヴル美術館
祖母アンナ、母マリア、幼子——三世代がひとつの流れに重なる構図。20年近く手を入れ続けても完成とせず、最後までそばに置いていました。背景の遠くの山なみに、地球そのものへの関心がにじみます。足元の川原の石は、丸まり方まで観察どおり——絵の土台にまで、彼の地質学が流れ込んでいます。
洗礼者ヨハネ1513〜16年ごろ|ルーヴル美術館
闇の中から微笑んで、天を指さす。最晩年の到達点です。輪郭線は一本もなく、闇との境目は煙のような明暗(スフマート)だけ——背景を真っ暗にしたのは、光がどこまで形を作れるかを試した、最後の実験でした。1517年、フランスの居城に隠居した彼を訪ねた一行が、モナ・リザ、聖アンナとともにこの絵を見せてもらったという記録が残っています。死の間際まで、この三枚を手放しませんでした。
自画像とされる赤チョークの素描1512年ごろ|トリノ王立図書館
長い髭の老人。本人の自画像かどうかは今も議論がありますが、「レオナルドの顔」として世界に刷り込まれた一枚です。探求に生きた人の、最晩年の眼差しとして、この部屋の締めくくりに。