THE WORDS OF KUKAI

空海の言葉

世に出まわる「空海の言葉」ではなく、
彼が自分の手で書いた本から採りました。
どこの何ページから採ったかを、一つずつ添えています。

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若き日の宣言 — 『三教指帰』

二十四歳の空海が、大学を辞めて山に入ることを宣言した書。延暦十六年(七九七年)十二月一日に書き上げています。この本は五人の登場人物が語り合う劇の形をとっていて、序文だけが空海自身の地の文です。

文章が生まれるには必ずわけがある。空が晴れれば星や雲のかたちが現れるように、人は心が動けば筆を執る。

文之起、必有由。天朗則垂象、人感則含筆。

巻上・序(コマ2)/空海自身の言葉

書きたくなる衝動は特別な人だけのものではない。うまく書けない日でも、心が動いたその瞬間が出発点になる。

私は十五歳で母方の伯父について学び、十八歳で都の大学に入った。蛍の光や雪明かりで学んだ昔の人にも自分は及ばないと、自分に腹を立てた。

余年志學、就外氏阿二千石文學舅、伏膺鑽仰。二九遊聽槐市。

巻上・序(コマ2)/空海自身の言葉

「まだ足りない」と自分に苛立つ感覚は、千二百年前の18歳も同じだった。焦りは伸びようとしている合図。

阿波(徳島)の大瀧岳によじ登り、土佐(高知)の室戸岬でひたすら唱えつづけた。谷はこだまを惜しまず返し、明けの明星が姿を現した。

阿國大瀧嶽、勤念土州室戸崎。谷不惜響、明星來影。

巻上・序(コマ2末〜3)/空海自身の言葉

百万回という途方もない数を、若い空海は本当にやりきった。続けた人にだけ見える景色として書かれている。

宮仕えや町のはなやかさは思い浮かべるたびに嫌になり、岩山や林にかかるかすみのほうが朝も夕も恋しくてたまらなくなった。

朝市榮華、念念厭之。巖藪煙霞、日夕飢之。

巻上・序(コマ3)/空海自身の言葉

まわりが望む「よい進路」が、自分にはだんだん重くなっていく。その気持ちの変化をごまかさず書き残している。

目に入るものすべてが私の背中を押す。誰にこの心が止められよう、風をつなぎとめられないように。

觸目勸我、誰能係風。

巻上・序(コマ3)/空海自身の言葉

一度動き出した気持ちは、まわりの反対では止まらない。自分の内側から来る合図を軽く扱わないでよい。

生きものの気持ちはひとそろいではない。空を飛ぶものと水に沈むものとでは持ち前が違う。だから先人が人を導く網も三種類ある。

物情不一、飛沈異性。是故聖者驅人、教網三種。

巻上・序(コマ3)/空海自身の言葉

自分に合う教え方はひとつではない。合わない方法で挫折したことを、自分の能力の問題だと決めつけなくてよい。

ただ胸につかえた思いを吐き出しただけで、よその人に読んでもらおうなどとは思っていない。

唯寫憤懣之逸氣、誰望他家之披覽。

巻上・序 末尾(コマ4)/空海自身の言葉

人に見せるつもりのない一冊が、千二百年読み継がれた。まず自分のために書く、という始め方の力。

玉は磨かれてはじめて、車を照らすほどの宝になる。人も、削り磨かれてはじめて、犀の皮を貫くほどの力を身につける。

玉緣琢磨、成照車器。人待切瑳、致穿犀才。

巻上・亀毛先生論(コマ7)/登場人物・亀毛先生のせりふ

やり直した二人の実例(戴淵・周処)を挙げたうえで言うので、きれいごとに聞こえない。今の粗さを伸びしろとして見直せる。

上は天子から下はふつうの子どもまで、学ばずにひとりでに悟った人も、教えにそむいて自力だけで通じた人も、これまで一人もいない。

上達天子、下及凡童、未有不學而能覺、乖教以自通。

巻上・亀毛先生論(コマ7)/亀毛先生のせりふ

才能で片づけず、学ぶ道すじが誰にでも開かれていると言い切る。人の助言を受け取ることもその一部。

孔子は「畑を耕していても飢えることはある。学んでいれば暮らしはおのずとついてくる」と言った。まことにこの言葉のとおりだ。

孔子曰、耕也餒在其中、學也祿在其中。誠哉斯言。

巻上・亀毛先生論 末尾(コマ13)/亀毛先生が『論語』を引く

目先の収入だけを追うより、学びを積むほうが結局は道が開ける。すぐ結果が出ない時期の支えになる。

今日は大臣でも、明日は人に使われる身になる。草の上の露をあてにして、朝日が昇ることを忘れている。

今爲卿相、明爲臣僕。恃草上露、忘朝日至。

巻中・虚亡隠士論(コマ20)/虚亡隠士のせりふ

肩書きや順位は、その日の天気のように移る。今の立場に振り回されず、手放しても残るものを考えるきっかけ。

それが本当に自分の進む道にかなっているのなら、目の前の狭い決まりや世間の枠にこだわる必要はない。

苟合其道、何拘近局。

巻下・仮名乞児論(コマ25)/仮名乞児のせりふ。周囲から責められた場面の返答

大学を辞めて山に入る空海が、まわりの反対に返した言葉。世間の型に収まらない選択を、筋の通し方として語っている。

わずかな水たまりでひれを動かしている魚に、千里もある大魚を見る手立てはない。垣根のなかで羽ばたく鳥に、九万里を飛ぶ大鳥がいると知りようがない。

擧鰭濫觴、曾無由見千里之鯤。翥翮藩籬、何能知有九萬之鵬。

巻下・仮名乞児論(コマ27)/仮名乞児のせりふ

見えていないだけで、世界はもっと広い。今いる場所の常識がすべてだと思えてきたときに効く。

移り変わりという強い風は、仙人だからといって避けてはくれない。お金を積んでも買い戻せず、力があっても引きとめられない。

無常暴風、不論神仙。不能以財贖、不得以勢留。

巻下・仮名乞児論(コマ33)/仮名乞児のせりふ

時間だけは誰にも等しく流れる。だから今日の一日は、どんな立場の人にとっても同じ価値をもつ。

この世に縛られていることをもう知ったのだから、どうして冠のひもとかんざしを外さずにいられよう。

已知三界縛、何不去纓簪。

巻下・仮名乞児論 末尾の十韻詩(コマ41)/全巻の結び

「纓簪」は官職を示す冠のひもとかんざし。用意されていた出世の道を自分から外す、という宣言で本は終わる。

教えを説いた書から

『般若心経秘鍵』『秘蔵宝鑰』『即身成仏義』『声字実相義』『吽字義』『十住心論』『弁顕密二教論』『御請来目録』から。すべて大正新脩大蔵経に本文が収められていて、何巻の何ページの何行目までたどれます。

迷うか気づくかは、自分の内側で起きていること。だから思い立った瞬間にもう半分は届いている。明るいか暗いかも、誰かのせいではない。信じて続ければ手ごたえは早い。

迷悟在我。則發心即到。明暗非他。則信修忽證。

般若心経秘鍵/大正蔵57巻11頁上段

一歩目を踏み出せないときの言葉。始まりを外の条件ではなく自分の側に置き直すと、動き出しが軽くなる。

歩いて歩いてたどり着くのは静けさ。進んで進んで入っていくのは始まりの場所。世の中はどこまでも旅の宿で、自分の心こそが帰る家だ。

行行至圓寂 去去入原初/三界如客舍 一心是本居

般若心経秘鍵/大正蔵57巻12頁中段

住まいも肩書きも移り変わるなかで、心だけが持ち歩ける居場所だと言い切る。

楽しいと感じるか感じないか、手に入ると思えるか思えないか。それを決めているのは、じつは自分の心のはたらきだ。

樂不樂得不得自心能爲

秘蔵宝鑰 巻上/大正蔵77巻363頁中段

同じ一日でも受け取り方で色が変わる。状況を変えられない日に効く。

自分の心がつかめないうちは波が立ち続ける。心のみなもとが見えてくると、大きな水面が澄む。澄んだ水面には、目の前のものがそのまま映る。

迷自心故六道之波鼓動。悟心原故一大之水澄淨。澄淨之水影落萬像。

秘蔵宝鑰 巻下/大正蔵77巻372頁上段

ものごとを正しく見たいなら、まず心の側を静かにするという順番。

太陽の光が水面に映ることが「加」、その水面が澄んでいて光を受け止められることが「持」。

佛日之影現衆生心水曰加。行者心水能感佛日名持。

即身成仏義/大正蔵77巻383頁中段

良いものが届くには送り手と受け手の両方が要る。学びも仕事も、受け取る側の準備で結果が変わる。

世界をかたちづくるものには、どれにも響きがある。どの立場にもその言葉がある。目に映るもの、耳に届くもの、そのすべてが文字だ。

五大皆有響 十界具言語/六塵悉文字 法身是實相

声字実相義/大正蔵77巻402頁中段

言葉を人間の道具に限らず、世界の側から立ちのぼるものとして捉えた四句。

中身を分かって使えば、その言葉は本物になる。どこから来た言葉かも知らずに口にすれば、上すべりの言葉にとどまる。

若知實義則名眞言。不知根源名妄語。

声字実相義/大正蔵77巻402頁下段

借り物の言葉が飛び交う時代に、言葉の重さを取り戻す一文。

広く展開しても散らからない。短くまとめても大事なところが抜けない。

廣而不亂 略而不漏

吽字義/大正蔵77巻407頁下段

説明・資料づくり・話し方にそのまま使える基準。長さの問題ではなく整理の問題。

誰もが自分の矛のするどさを自慢して、自分の盾のもろさは忘れている。そして相手の欠点はほじくり出し、良いところには蓋をする。

各美己戟忘己楯。並發他疵蔽他善。

秘密曼荼羅十住心論 巻第一/大正蔵77巻303頁中段

千二百年前に書かれた、議論がこじれるしくみの観察。

気の遠くなるほど長く眠っていた種も、春の雷ひとつで殻が割れる。ふとわいたわずかな善い気持ちも、ちょうどよい雨に当たれば芽を出す。

萬劫寂種遇春雷而甲坼。一念善幾沐時雨而吐牙。

秘密曼荼羅十住心論 巻第二/大正蔵77巻314頁上段

長く動かなかった人にも、きっかけ次第で変化が起きるという励まし。

大事なことは、もともと言葉になりきらない。それでも言葉にしなければ、誰にも見えない。本当のことは形を超えている。それでも形にして初めて、人はそれと気づく。

法本無言。非言不顯。眞如絶色。待色乃悟。

御請来目録/大正蔵55巻1064頁中段

曼荼羅を持ち帰った理由を述べた箇所。伝える仕事をする人に効く。

肘と膝で這うようにして、まだ習っていないことを習い、頭を下げ足もとに額をつけて、まだ聞いたことのない話を聞いた。

肘行膝歩學未學。稽首接足聞不聞。

御請来目録/大正蔵55巻1060頁中段

唐で学んだ日々を空海自身が振り返った一行。 ---

すぐれた人が薬を出すときは、相手の具合に合わせて強くも弱くもする。かしこい人が語るか黙るかも、時期と相手を見てから決める。

聖人投藥、隨機深淺。賢者説默、待時待人。

般若心経秘鍵/大正蔵57巻11頁中段

伝え方は相手しだい。同じ助言でも量と時機を選ぶ。黙って待つことも手のうちに入れておくと、言葉の届き方が変わる。

ひとつひとつの音、ひとつひとつの文字は、どれだけ長く語り続けても語り尽くせない。ひとつの名前とその中身も、数えきれない仏が説いても果てがない。

一一聲字歴劫之談不盡、一一名實塵滴之佛無極。

般若心経秘鍵/大正蔵57巻11頁上段〜中段

たった一語の中身は語り尽くせないという驚き。言葉をぞんざいに扱わない理由が、ここに置かれている。

分かりやすい教えか、奥に隠れた教えかは、読む人の側で決まる。文字や音そのものに、はじめから区別があるわけではない。

顯密在人、聲字即非。

般若心経秘鍵/大正蔵57巻12頁下段

同じ本を読んでも受け取りが人によって違うのは、読む側の状態による。読み返す値打ちのある本が一気に増える一言。

自分の内にも外にもあるさまざまな形や色は、見方が乱れている人には毒になり、落ち着いている人には薬になる。だから同じものが人を迷わせもし、気づかせもする。

如是内外諸色、於愚爲毒、於智爲藥。故曰能迷亦能悟。

声字実相義/大正蔵77巻404頁中段

動かせるのは景色よりも、こちらの構えのほう。うまくいかない日に読むと、少し肩の力が抜ける。

行き先を示すには、言葉にした教えがなければ始まらない。その教えが立ち上がるには、音と文字がいる。音と文字がはっきりすれば、ものごとのほんとうの姿が見えてくる。

歸趣之本、非名教不立。名教之興、非聲字不成。聲字分明而實相顯。

声字実相義/大正蔵77巻401頁下段

伝える仕事の順序を、そのまま手順書のように説明している。

響きは必ず声から起こる。声が響きのもとになる。声は出れば無駄にならず、必ず何かの名前を表す。それを文字と呼ぶ。

響必由聲。聲則響之本也。聲發不虚、必表物名、號曰字也。

声字実相義/大正蔵77巻401頁下段

無駄な発話はないという見方。人前で話すのをためらう人の背中を、静かに押してくれる。

あとから学ぶ人は、とにかく心を研ぎ澄まし、思いをのびやかに遊ばせてほしい。

後之學者、尤研心遊意而已。

声字実相義/大正蔵77巻401頁下段

学び方の指示はたった二つ。締めるだけでも緩めるだけでも足りないことが、短い一行で分かる。

奥深くて見えないと言われているものは、こちらが自分でふたをしているだけで、向こうが隠しているわけではない。

所謂甚深祕藏者、衆生自祕之耳、非佛有隱也。

吽字義/大正蔵77巻405頁上段

難しくて分からないと感じるとき、閉じているのはたいてい自分の側。自分でふたを開けられるという含みが、静かな励ましになる。

絵の心得のない絵師が、自分でいろいろな色を使っておそろしい鬼の姿を描き、描き上げてから自分でそれを見て怖くなり、その場に倒れ込んでしまう。そんなふうなものだ。

如彼無智畫師、自運衆綵、作可畏夜叉之形。成已還自觀之、心生怖畏、頓躄于地。

吽字義/大正蔵77巻405頁上段

不安の多くは自作の絵で、描いたことを忘れて怯えている。心配ごとの出どころを、落ち着いて見直したくなる。

太陽も月も星も、もとから空にある。雲や霧、煙やほこりがさえぎると見えなくなる。それを見て、太陽も月ももう無いのだと思ってしまう。

日月星辰、本住處空。雲霧蔽虧、烟塵映覆。愚者視之、謂無日月。

吽字義/大正蔵77巻406頁上段

見えないことと無いことは違う。自分や人の良いところにも当てはめてみたくなる。

降る雨の筋がいくら多くても、もとは同じ一つの水。ともした灯りは一つではないけれど、光は溶け合って一つの明るさになる。

雨足雖多、並是一水。燈光非一、冥然同體。

吽字義/大正蔵77巻406頁中段〜下段

別々に見えるものが、もとは一つ。人の違いを消さないまま、つながりのほうへ目を向けさせてくれる。

奥の意味に気づかず、少し手に入っただけで満足し、もともと自分が持っているものに気づかない。これほどもったいない乏しさはない。

不解密意、得小爲足、不識已有、貧莫過此。

吽字義/大正蔵77巻406頁中段

自分の手持ちを棚卸ししたくなる、身に覚えのある一言。

すでに高い位にありながら身を低くして、学び始めたばかりの人の食べ残しまで引き受ける。高い所にいて偉ぶらないから、へりくだるほどかえって満ちてくる。

屈已成之尊位、飡初心之遺穢。是則高而不奢、損而招盈。

吽字義/大正蔵77巻407頁上段

人を育てる側に回ったとき、どう振る舞えばいいかの手本になる。

ひとつでありながら数えきれず、数えきれないのにひとつ。それでいて、混ざってごちゃごちゃになることがない。

一而無量、無量而一。終不雜亂。

即身成仏義/大正蔵77巻383頁下段

まとまっていながら、ひとりひとりが埋もれない。チームや家族のちょうどよい姿を、一行で言い当てている。

よく磨かれた心という鏡が、世界のいちばん高いところに掛かっている。静かにすべてを映して、さかさまにも、まちがいにもしない。

圓明心鏡、高懸法界頂。寂照一切、不倒不謬。

即身成仏義/大正蔵77巻384頁上段

判断に迷う日、まず自分の鏡を拭こうと思える。

同じ文章でも、思い込みが強いと意味が隠れ、受けとる力に応じて意味が現れてくる。同じものを見ても、見る者によってまるで違って映る。人には暗い所でも、鳥には明るく見えるように。

文隨執見隱、義逐機根現。譬如天鬼見別、人鳥明暗。

弁顕密二教論 巻上/大正蔵77巻375頁上段

同じ文章が読む人ごとに違って見える理由を、静かに説明している。

先生は先生で、教わったことを胸におさめ、口うつしに伝える。弟子は弟子で、それを重ねて習い、その流儀のままに語るようになる。

師師伏膺、隨口蘊心。弟弟積習、隨宗成談。

弁顕密二教論 巻上/大正蔵77巻375頁中段

教える立場に立ったとき、自分の目で確かめ直す習慣を思い出させる。

奥にあるものはあまりに深くて、文字では書き切れない。だから絵の力を借りて、まだ分からない人に見せて伝える。

密藏深玄、翰墨難載。更假圖畫、開示不悟。

御請来目録/大正蔵55巻1064頁中段

伝わらないときに手段のほうを変えるという、実務的な判断がここに示されている。

教えそのものには、現れるとか隠れるとかいう都合はない。受け取る人しだいで、来もするし去りもする。宝のように手に入りにくいが、手にすれば心がひらける。

法無行藏、隨人去來。似寶難得、得則心開。

御請来目録/大正蔵55巻1065頁下段

学びが頭に入ってこない時期の焦りを、少しやわらげてくれる。

仏の教えは広くて果てしない。ひと言でまとめれば、自分を整えることと、人の役に立つこと。この二つに尽きる。

夫釋教浩汗、無際無涯。一言弊之、唯在二利。

御請来目録/大正蔵55巻1065頁下段

仕事や暮らしの軸を決めるときの、簡単な物差しになる。

大事な教えほど中身が深く、書かれた文章と言いたいことがずれてしまう。解説の助けがなければ、どんなに優れた言葉も働かない。

一乘理奧、義與文乖。不假論疏、微言無功。

御請来目録/大正蔵55巻1064頁中段

説明を省かない仕事の理由づけとして読める。

いちばん近いのに見えにくいのが、自分の心。細やかで、どこまでも広がっているのが、自分の中の仏。

近而難見我心、細而遍空我佛。

十住心論 巻第九/大正蔵77巻353頁中段

自分のことは自分が一番分からないという感覚を、たった十四字で言い当てている。

縦に並べて比べれば、道にはそれぞれ浅い深いがある。横に並べて眺めれば、どれも同じ味わいで優劣はない。

若竪論則乘乘差別淺深、横觀則智智平等一味。

十住心論 巻第一/大正蔵77巻303頁下段

比べ方の軸を変えると、優劣の話が景色の話に変わる。人を見るときにも効く。

あとから学ぶ者は苦しい。広い空があるのに小さな部屋に逃げこみ、自分の耳をふさげば音は消えると思い込んで、鳴っている鐘を盗み出そうとする。

苦哉末學、逃大虚於小室、偸鳴鐘乎掩耳。

十住心論 巻第一/大正蔵77巻303頁下段

学びが縮こまる癖を、笑いを含んで戒めている。

長い長い時間を、ほんの一瞬にたたみこむ。ほんの一瞬の思いを、果てしない時間へと広げる。

攝九世於刹那、舒一念於多劫。

十住心論 巻第九/大正蔵77巻353頁下段

時間は長さだけでなく濃さでも動く、という感覚をくれる一句。

薬はもう目の前に出してある。飲まなければ、治りようがない。論じるだけ、唱えるだけで終われば、名医もあきれてしまう。

投藥在此、不服何療。徒論徒誦、醫王呵叱。

秘蔵宝鑰 巻上/大正蔵77巻363頁中段

良い方法を知っただけで止まってしまいがちな私たちに、次の一歩を思い出させてくれる。

朝から晩までせわしなく働いて、着るもの食べるものの心配という牢につながれる。あちこち追いかけまわって、評判と儲けという落とし穴に落ちる。

營營日夕、繋衣食之獄。趁逐遠近、墜名利之坑。

秘蔵宝鑰 巻上/大正蔵77巻363頁下段

千二百年前の言葉が、そのまま今の忙しさの図解になっている。

親子は親しみ合っていながら、その親しさがどれほどのものかに気づかない。夫婦は愛し合っていながら、その愛がどういうものかに気づかない。

父子親親、不知親之爲親。夫婦相愛、不覺愛之爲愛。

秘蔵宝鑰 巻上/大正蔵77巻363頁下段

家族の顔を思い浮かべながら読める、やわらかで静かな一節。

物は心を持たないから、見たままの姿を出している。人は心を内に抱えているから、外から見ただけでは分からない。

物無心故現相。人含心故叵辨。

秘蔵宝鑰 巻中/大正蔵77巻366頁下段

人を早合点しないための、落ち着いた確認になってくれる。

昔の名人にはもう誰も届かない。それでも人が楽器をかき鳴らし、書に目をこらすのはなぜか。届かなくても、やめてしまうよりは続けるほうがずっといいからだ。

然猶所以彈指聒耳、書札汗目、並皆不得、罷爲之猶賢。

秘蔵宝鑰 巻中/大正蔵77巻366頁中段

続ける理由を、これ以上ないほど簡潔に言い切っている。 ---

人は何度生まれ変わっても、自分の生がどこから始まったのか分からない。何度死んでも、死がどこへ行き着くのか分からない。

生生生生暗生始 死死死死冥死終

秘蔵宝鑰 巻上/大正蔵77巻363頁上段

迷いの深さを言った言葉。分からないまま歩いていることを、恥じなくてよいと思わせてくれる。

迷っている人は、自分が迷っていることを知らない。見えていない人は、自分が見えていないことに気づかない。

三界狂人不知狂 四生盲者不識盲

秘蔵宝鑰 巻上/大正蔵77巻363頁上段(上の句の直前。本来ひと続き)

人を責める言葉ではなく、自分に向ける言葉として置くと効く。

名医の目には道端の草もみな薬に見え、宝を見分ける人には鉱石も宝に見える。

醫王之目觸途皆藥 解寶之人礦石見寶

般若心経秘鍵/大正蔵57巻12頁中段

同じものでも、見る人の眼力しだいで値打ちがまるで変わる。目を養うことがそのまま豊かさになる。

求めているものは遠くにあるのではなく、自分の心の中にある。外にあるものではないのに、自分を捨ててどこへ探しに行くのか。

夫佛法非遙心中即近 眞如非外棄身何求

般若心経秘鍵 冒頭/大正蔵57巻11頁上段

答えを外に探しに行きたくなったときの一句。

世界をかたちづくる六つの要素は、互いにさえぎり合うことなく溶け合っている。

六大無礙常瑜伽體 四種曼荼各不離相

即身成仏義/大正蔵77巻381頁下段

自分と世界を切り離して考えない見方。孤立を感じる日に置いておきたい。

詩と手紙から

『文鏡秘府論』『性霊集』『高野雑筆集』から。これらは大正新脩大蔵経に入っていないため、国立国会図書館の版本や研究資料で裏を取っています。なお『文鏡秘府論』は、唐で集めた中国の詩論を空海が編み直した本です。中身の多くは中国の詩人たちの言葉で、空海自身が書いたのは天巻の序と、編集の方針を述べた箇所にかぎられます。ここに置いたものは、その序から採りました。『性霊集』の巻八から十は空海の死後に集め直された補遺なので、「空海の言葉として伝わる」という扱いにしています。

すぐれた人が世の役に立とうとするとき、その土台になるのは言葉による教えであり、人が時代を良くしようとするとき、その根本になるのは書くことだ。

夫大仙利物、名教為基/君子濟時、文章是本也

文鏡秘府論 天巻・序

学ぶのが好きでも、お金がなければ本を借りに行くことも書き写すこともできない。子どもが学びたいと思っても、どれが正しいのか決める手がかりがない。

貧而樂道者、望絕訪寫/童而好學者、取決無由

文鏡秘府論 天巻・序

空海がこの本をまとめた動機そのもの。いまの情報格差にも重なる。

まわりの景色は心にしたがって姿を変える。心が濁れば景色も濁る。心はまた景色に引っぱられて動き、まわりが静かであれば心も晴れる。

夫境隨心變。心垢則境濁。心逐境移。境閑則心朗。

性霊集 巻第二「沙門勝道歴山水瑩玄珠碑并序」

詩を作る人は、昔の詩の作り方の芯を学ぶのがすぐれていて、そのまま写すのは腕前とは言わない。書も同じで、昔の人の意図に寄せていくのが良く、筆跡が似ているだけでは上手いとは言わない。

作詩者、以學古體爲妙、不以寫古詩爲能。書亦以擬古意爲善、不以似古跡爲巧。

性霊集 巻第三「勅賜屏風書了即献表并詩」

デザインでも文章でも、参考にする作法をはっきりさせてくれる。

身分の上下を問わず、お金があるかないかも見ず、その人に合わせて手を引き、教えることに飽きない。

不論貴賤。不看貧富。隨宜提撕。誨人不倦。

性霊集 巻第十「綜藝種智院式并序」

日本初の庶民向け学校の運営規定に書かれた、教える側の心得。

ひとつの味だけでごちそうを作れた人はいないし、ひとつの音だけで良い曲を作れた人もいない。

未有一味作美膳、片音調妙曲者也。

性霊集 巻第十「綜藝種智院式并序」

ひとつの分野だけを深めるより、いくつも学んで束ねる方が実りが大きい。

静かな林、明け方の小さな堂に、ひとりで坐っている。一羽の鳥の声が、そのまま尊い響きに聞こえる。鳥には声があり、人には心がある。声も心も、雲も水も、みなはっきりと澄んでいる。

閑林獨坐草堂曉/三寶之聲聞一鳥/一鳥有聲人有心/聲心雲水倶了了

性霊集 巻第十「後夜聞佛法僧鳥」

舟と車では使いどころが違い、文と武では得意が違う。持ち味に合った使い方をすれば、ものごとは気持ちよく進む。合わない使い方をすれば、どれだけ苦労しても実りがない。

舟車別用、文武異才。若當其能、事則通快。用失其宜、雖勞無益。

性霊集 巻第三「屏風を書き了りて献ずる表」八一六年

頑張っているのに進まないとき、原因を努力量以外に探させてくれる。 ---

道は、歩く人がいなければ草に埋もれてふさがってしまう。教えも、語り伝える人がいなければ、そこで絶える。

道無人則壅、教無演則廢

性霊集 巻第十「勤操大徳影讃并序」八二八年(空海の言葉として伝わる)

どんなに良いものも、使う人と伝える人がいて初めて残る。技術も店も家業も、同じ理屈で動いている。

大きな海があれほど深いのは、無数の川が流れ込んだからだ。

大海資衆流以致深

性霊集 巻第十「綜藝種智院式并序」八二八年(空海の言葉として伝わる)

ひとりの力で深くなったものは無い。人を集め、意見を集め、時間をかけた分だけ深さが出る。

山が高ければ、そこに雲がわき雨が降って草木を潤す。水が深くたまれば、そこに魚や龍が生まれ育つ。

山高則雲雨潤物、水積則魚龍産化

性霊集 巻第九「高野の峰を乞い願う表」八一六年

器の大きさが、そこに宿るものを決める。場所づくりを語るときの、いちばん静かで強い一句。

高い山は静かに黙っている。それでも鳥や獣は、疲れたとも言わずそこへ帰っていく。深い水は何も語らない。それでも魚や龍は、飽きもせず集まってくる。

高山澹默、禽獸不告勞而投歸/深水不言、魚龍不憚倦而逐赴

性霊集 巻第五「大使の為に福州の観察使に与うる書」八〇四年

呼び込む声を上げなくても、中身があれば人は来る。宣伝に疲れたときに読み返したい一節。

春の花も秋の菊も、笑いながらこちらを向いてくれる。明け方の月と朝の風が、心についた埃を洗い流していく。

春華秋菊笑向我、曉月朝風洗情塵

性霊集 巻第一「山中に何の楽しみか有る」

季節の側から自分に笑いかけてくる、という受け取り方。朝の空気に助けられた経験がある人には、そのまま届く。

ひとりぼっちの雲に、決まった居場所はない。もともと高い峰が好きなのだ。人里の暮らしの時間を知らないまま、月を眺めて青い松の下に横になっている。

孤雲無定處、本自愛高峰/不知人里日、觀月臥靑松

性霊集 巻第一「良相公に贈る詩」

定住しないことを、寂しさよりも身軽さとして詠んでいる。場所を選ばず働く人の自画像にも読める。

秋風がさっと吹いて黄色い葉を舞い上げ、まん丸な月が白露に濡れて泣いているように見える。虫の音は草のあいだで哀しげに響き、雁の声はとぎれとぎれに、空の道をまばらに渡っていく。

秋風颯颯飄黃葉、桂月團團泣白露、蟲響悲哀愍草間、鴈聲斷續疎天路

性霊集 巻第十「秋日に僧正大師を賀し奉る詩」八二九年(空海の言葉として伝わる)

秋の音だけで四句を組み立てている。日本語に訳しても十分に美しく、季節の便りにそのまま使える。

鏡のような池の水は、えこひいきをしない。どんな色も、映らずに済むものはない。山と水がたがいを映し合って、思わず息をのむ景色になる。

池鏡無私、萬色誰逃/山水相映、乍看絕腸

性霊集 巻第二「沙門勝道 山水を歴て玄珠を瑩く碑」八一四年

水面が静かであるほど、目の前のものはそのまま映る。人の見方についても同じことが言える。

白い鶴が波打ち際で舞い、青いカモが水と戯れている。翼を振れば鈴の音、声を出せば玉の響き。松を渡る風は琴の音を鳴らし、石をなでる波は鼓を打つ。

白鶴舞汀、紺鳧戲水/振翼如鈴、吐音玉響/松風懸琴、砥浪調鼓

性霊集 巻第二「沙門勝道 山水を歴て玄珠を瑩く碑」(日光・中禅寺湖の描写)

湖の音を、鈴と玉と琴と鼓の四つの楽器に置き換えていく。千二百年前の日光の音が、そのまま残っている。

山は高く険しく、水は深く澄んでいる。花は光に照り映え、さまざまな鳥が鳴き交わす。ひと目見わたすだけで憂いが消え、数え切れない悩みごとがひとりでに静まっていく。

山也崢嶸、水也泓澄/綺華灼灼、異鳥嚶嚶/一覽消憂、百煩自休

性霊集 巻第二「沙門勝道 山水を歴て玄珠を瑩く碑」末尾の銘

景色が悩みを解決するとは言っていない。ただ見ているうちに、ひとりでに静まっていくという書き方。

松や竹に風が吹けば琴の音がする。梅や柳に雨が降れば、織物のような模様になる。春には鳥がさえずり、秋には大きな雁が飛んでいく。

松竹風來琴箏、梅柳雨催錦繡/春鳥哢聲、鴻鴈于飛

性霊集 巻第十「綜藝種智院式并序」(学校の敷地を描いた箇所・空海の言葉として伝わる)

学校をつくる文書の中に置かれた四季の描写。学ぶ場所の空気まで設計しようとしていた。

空を切って飛ぶもの、土にもぐるもの、水を流れていくもの、林で遊ぶもの。そのすべてが、自分を支えてくれている恩人だ。

排虚沈地、流水遊林、揔是我四恩

性霊集 巻第八「高野山万灯会願文」八三二年(空海の言葉として伝わる)

恩を人だけに限らず、生きものぜんぶに広げた一文。

ある道を世に広めたいと思うなら、何をおいてもまず、その道を担う人に食べさせなければならない。

欲弘其道、必須飯其人

性霊集 巻第十「綜藝種智院式并序」(空海の言葉として伝わる)

志だけでは続かないという現実的な条項。日本で最初の庶民向け学校が給食を無料にした理由がここにある。

世の中の人はみな自分の子だ、というのは釈尊の言葉。世界じゅうの人は兄弟だ、というのは孔子の言葉。

三界吾子大覺師吼、四海兄弟將聖美談

性霊集 巻第十「綜藝種智院式并序」(空海の言葉として伝わる)

仏教と儒教から一句ずつ並べて、教える側の構えとした。教える相手を選ばないという宣言でもある。

大きな建物は、たくさんの木材が支えている。上に立つ人も、支える人がいて保たれている。だから、同じ考えの仲間が多ければ力は尽きにくく、仲間が少なければ傾きやすい。

大廈群材之所支持、元首股肱之所扶保/多類者難竭、寡偶者易傾

性霊集 巻第十「綜藝種智院式并序」(空海の言葉として伝わる)

続かなかった先例をあげられたときの答え。事業が続くかどうかを、支え手の数で説明している。

子どものような私の耳に手をかけ、道理に暗い心を開いてくれた。昼も夜もいとわず大事なところを教え、暑さ寒さに飽きることなく、近道を示してくれた。

提我童耳、開我蒙心/日夕不憚示法門之奥義、寒暑不倦賜成佛之徑路

性霊集 巻第十「秋日に僧正大師を賀し奉る詩」八二九年(空海の言葉として伝わる)

五十代半ばの空海が、自分の先生を語った言葉。教わる側から見た良い先生の条件が、そのまま並んでいる。

昼は道具に向かって食事を忘れ、夜はその先にある本当に取りたいものを見つめて、眠るのを忘れる。

晝則對筌蹄而忘食、夜則觀魚兎而廢寢

性霊集 巻第十「元興僧正大徳の八十を賀する詩」八二九年(空海の言葉として伝わる)

八十歳の学僧をたたえた一句。年齢を理由に手を止めない人が、当時からいた。

昔の人は、道を学ぶのに損得を計算しなかった。いまの人が本を読むのは、名前を売ることとお金のためばかりだ。

古人學道不謀利、今人讀書但名財

性霊集 巻第一「徒に玉を懐く」

千二百年前にもう書かれていた愚痴。だからこそ、いつの時代も同じところで人はつまずくのだと分かる。

どんなに良い薬が箱にいっぱいあっても、飲まなければ何にもならない。上等な服がたんすに満ちていても、着なければやはり寒い。

妙藥盈篋不甞無益、珍衣滿櫃不著則寒

性霊集 巻第十「叡山の澄法師に答うる書」(最澄あての手紙・空海の言葉として伝わる)

買っただけの本、受けただけの講座。持っていることと使えることの差を、これ以上ないほど短く言い切っている。

刺さった毒矢を抜かずに、どこから飛んできたかばかり調べている。行くべき道を聞いても足を動かさなければ、千里先の景色が見えるはずもない。

不拔毒箭空問來處、聞道不動千里何見

性霊集 巻第十「叡山の澄法師に答うる書」(空海の言葉として伝わる)

調べること自体が目的になってしまったときの一撃。まず抜く、まず歩く、という順番を思い出させる。

頭だけあって尻尾がない。口では言うのに、やらない。始めたことをきちんとつなぎ、終わりまで良い形にできる人が、立派な人だ。

有頭無尾、言而不行/合始淑終、君子之人也

性霊集 巻第十「叡山の澄法師に答うる書」(空海の言葉として伝わる)

途中で止まったものを頭だけの生きものと呼んだ言い方が鮮やか。終わらせる力の話として読める。

学問と世間は切り離せない。これは私の師(恵果和尚)の口ぐせだった。

眞俗不離、我師雅言

性霊集 巻第十「綜藝種智院式并序」(空海の言葉として伝わる)

専門だけを深めても届かない、という教育方針を一行で言った箇所。師から受け継いだ言葉として書いている。

人と人が分かり合うのに、顔を合わせて長々と話す必要はない。気持ちが通じれば、道でたまたますれ違った相手とも、その場で古い友になれる。

人之相知、不必在對面久話。意通則傾蓋之遇也

性霊集 巻第二「沙門勝道 山水を歴て玄珠を瑩く碑」末尾

一度も会っていない相手の伝記を書いた理由として置かれた一文。離れた場所で人とつながる時代に、そのまま効く。

昔の人は、直接会うことを特別に重んじたわけではない。大切にしたのは、同じ道を歩いているという一点だけだった。

古人不貴面談。所貴者在同道而已

高野雑筆集 巻上(某阿闍梨あての手紙)

面識のない相手に協力を頼む手紙の書き出し。距離を理由にしない付き合い方の宣言になっている。

谷あいの蘭は、目立とうという気がなくても、香りは遠くまで届く。美しい玉は、深く埋もれていても値打ちが下がらない。

幽蘭無心而気遠、美玉深居以價貴

高野雑筆集 巻上(下野国の広智禅師あて)

遠方にいる相手をたたえた二句。人目につかない場所で続けている仕事に、そのまま贈れる言葉。

お香をひと包み、お送りします。品物は軽いものですが、気持ちは軽くありません。

名香一裹。物軽誠重

高野雑筆集 巻上(会津の徳一菩薩あて)

面識のない相手への手紙に添えられた四字。贈り物に添える一言として、いまでもそのまま通用する。

にかわと漆が混ざったときの色つやの良さは、常緑の松や柏の変わらなさと並べても、しおれることがない。乳と水が溶け合った香りは、香草と並べてもいっそう良い香りがする。

膠漆之芳與松柏不凋、乳水之馥將芝蘭彌香

性霊集 巻第十「叡山の澄法師に答うる書」(最澄との関係を語った冒頭・空海の言葉として伝わる)

のちに疎遠になる二人だが、この手紙の書き出しでは友情をこう書いていた。混ざり合う喩えを二つ重ねている。

私が飢えれば、おまえもいっしょに飢えた。私が楽しめば、おまえもいっしょに楽しんだ。

吾飢汝亦飢、吾樂汝亦樂

性霊集 巻第八「亡き弟子智泉の為の達嚫文」八二五年(空海の言葉として伝わる)

二十四年をともにした弟子を送った文。難しい言葉をひとつも使わずに、いっしょに過ごした時間を言い切っている。

きっと、あなたはご用が多くて、私のような小さな頼みごとをお忘れになったのでしょう。

恐大人多故忘却小事

高野雑筆集 巻上(紙と筆の催促状)

相手の顔を立てながら、しっかり催促している一行。督促の書き方として、いまでもそのまま使える。

書くとは、ほどくことだ。形をきちんと組み立てられれば上手、というものではない。心をまわりのものの中で遊ばせ、胸の内をゆるめて解き放ち、四季からやり方を学び、あらゆるものから形をもらってくる。そこで初めて良いものになる。

書者散也。非但以結裹爲能。必須遊心境物、散逸懷抱、取法四時、象形萬類、以此爲妙矣

性霊集 巻第三「屏風を書き了りて献ずる表」八一六年(空海が古人の筆勢論として引いた句)

上手さを、正確さより解放の側に置いた一節。文章でもデザインでも、手が固くなったときの処方になる。

世に伝わる六十あまりの書体は、どれも、人の心が何かに動かされて生まれたものだ。

如是六十餘體者、並皆人心感物而作也

性霊集 巻第三「屏風を書き了りて献ずる表」八一六年

様式や型を、規則ではなく感動の記録として見ている。書体やフォントの由来を語るときに使える。

宇宙が消え、生きものがいなくなり、さとりまでも尽きるときが来ないかぎり、人を救うという私の願いは終わらない。

虚空盡衆生盡涅槃盡我願盡

性霊集 巻八「高野山万燈会願文」八三二年(空海の言葉として伝わる)

八三二年、高野山での願いの文。終わらないと言い切る力。

物事が栄えるか廃れるかは、それを担う人しだい。人が伸びるか沈むかは、何を学びどんな道を歩むかで決まる。

夫物之興廢必由人 人之昇沈定在道

性霊集 巻十「綜藝種智院式并序」八二八年(空海の言葉として伝わる)

日本で初めて庶民に開いた学校を作ったときの宣言。

唐で何があったか — 二年で持ち帰ったもの

この経緯は、空海自身が帰国後に朝廷へ提出した報告書『御請来目録』(八〇六年)に書かれています。上に並べた「肘と膝で這うようにして学んだ」という一行も、この報告書の中にあります。

二十年の予定で渡った

八〇四年、三十一歳で唐へ渡ります。身分は留学生(るがくしょう)。二十年かけて学んでくる約束の留学でした。同じ船団には、天台宗をひらく最澄も乗っています。

八〇五年六月十二日、恵果に会う

長安の青龍寺に、恵果(けいか)という僧がいました。当時の密教の頂点にいた人で、弟子は千人を超えていたと伝えられます。空海が訪ねたとき、恵果は前から待っていたという趣旨のことを言い、その日のうちに教えを授ける約束をしました。

三か月で、すべてを授けきる

六月に胎蔵界の灌頂(かんじょう)。七月に金剛界の灌頂。そして八月十日、伝法阿闍梨位の灌頂。これは「あなたはもう受け取る側ではなく、伝える側だ」という一番上の資格です。通常なら十年以上かかると言われる段階を、二か月あまりで駆け上がったことになります。

儀式では目隠しをして曼荼羅に花を投げ、落ちたところの仏が縁の仏になります。空海の花は中心の大日如来の上に落ちたと伝えられ、遍照金剛(へんじょうこんごう)という名を授かりました。世のすべてをあまねく照らす者、という意味です。

同じ年の十二月、恵果は世を去る

六十歳でした。千人を超える弟子がいたなかで、追悼の碑文を書く役に選ばれたのが空海です。外国から来て数か月の日本人でした。この碑文は『性霊集』巻二に「恵果和尚碑」として残っています。有名な「虚しく往きて実ちて帰る」という言葉も、この碑文の中にあります。

二年で帰る

二十年の約束を二年で切り上げ、八〇六年に帰国します。規則を破った形なので、しばらく都に入ることを許されず待たされました。

持ち帰ったもの

『御請来目録』に並ぶのは、経典や儀軌など二百部を超える書物、四百巻あまり。曼荼羅、歴代の師の肖像、法具一式、そして恵果から直接授かった品々です。このなかに『宿曜経』も入っていました。この部屋の隣にある宿曜占いは、このとき運ばれてきた暦です。

書物を持ち帰ったというだけの話ではありません。日本には誰も持っていなかった「伝えてよい資格」ごと、船に積んで戻ってきたのがこの二年でした。

言葉の選び方 彼自身の著作にあたり、原文を確認できたものだけを並べました。世の中で「空海の言葉」として広まっていても、彼の本のどこにも見当たらないものは入れていません。 宗教のお誘いはしません ここは信仰に入っていただく場所ではありません。千二百年前の人が書き残した言葉を、いまの自分を整えるために借りる場所です。 有名な逸話について 「明けの明星が口に飛び込んだ」という話は、『三教指帰』の本文にはありません。書かれているのは「明けの明星が姿を現した」までです。口に入ったという話は、後の時代の伝記で加わりました。